足るを知るとは?

京都に住んでいるときに地元の友人が

遊びに来た際に連れて行ったお寺に

「龍安寺」があって枯山水の落ち着いた禅寺で

私の好きなお寺の一つです。

石庭はじっと心落ち着かせる時間を過ごしたい

気持ちにさせる趣のあるお庭です。

それと有名なのはつくばいですね。

「吾唯足知」

時計回りに呼んで「吾(われ)唯(ただ)足るを知る」と読みます。

私自身の解釈としては、贅沢は望むな!質素に生きよ!

高望みをするな!と言っているように思って少し物足りなさを

感じる内容で、うまくデザインしてあるつくばいだという

代物にしか感じていなかったのです。

 

ふと最近

足るを知るとは、感謝できる事があるはずなのに

当たり前に成ってしまって、足りないと思って生活することが

残念なことなんだということに気づきました。

 

感謝できることは当たり前に成って、習慣化しているから

無意識に成ってしまい、なくならないと存在を理解できない。

師匠からは、感謝は探しててもするのが感謝であるといわれる

ゆえんだと思います。

 

「ある」のに有ると自覚できないから、自分には「ない」と

思って不安をベースに心を使ってしまう。

 

足るを知れば、感謝できる状況に包まれている自分を知ることに

なるから、安心をベースに世の中と相対することができる。

 

無意識に使う心の通りに現実化するのだから、安心をベースにして

展開される現実世界の中に身を置く方が、心豊かな日常になるであろう

と想像することは難くない訳です。

 

足りている自分だからこそ、自分のことで囚われるのはやめにして

周りの人の願いを実現することを、それぞれのできうる役割と使命感に

おいてお役に立っていくことを考えていけばいいんだと、

この「吾唯知足」から改めて決心をさせて頂きました。

 

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